Neurodiversity (Neuro = ”神経の”、diversity = ”多様”)とは、普通の脳の働きを持つ人間をNeurotypicalと呼ぶ事に対し、躁鬱病、自閉症、分裂病、発達障害、パーキンソン病などのコンディションを”神経多様性”という観点から見つめようという考えから生まれた言葉です。(このブログ記事では以下”ニューロ ダイバーシティ”と表記します。)この言葉には

 

1. ニューロダイバーシティを持つ人に”治療”は必要ないということ

2. 状態、疾患、疾病、異常などの言葉の使用を廃止すること

3. 健康な人やニューロダイバーシティの人々の生活の違いや共通点を理解すること

4. ニューロダイバーシティの人々に対するケアの質を高めること。

などの想いが込められています。

 

今日はこのコンセプト、Neurodiversityについて触れてみます。この言葉を知ったのは友人から送られてきたメール(英文)がきっかけでした。その和訳をご紹介します。

 

-脳は熱帯雨林-

 

注意欠陥、多動性障害、学習障害、気分障害を持つ人たちは常に”障害者”というレッテルを張られます。しかし、動物と植物の間に違いがあるように、それぞれの脳には違いがあり、またその違いも当たり前のことです。ニューロダイバーシティの世界へようこそ!

 

私たちの社会が花の世界に置き換わったと想像してみてください。この花の世界の精神科医をバラとします。バラのクリニックに背の高いひまわりが診察をうけにやってきました。

 

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バラの精神科医は診断器具を取り出して、30分ほど色々と調べてある診断にたどり着きました。「ひまわりさん、あなたは”大きすぎる病”に罹っています。もし早期発見ができたなら十分に治す事ができるのですが、ここまで成長してしまうと私にはもう手に負えません。しかしながら、あなたの症状に対処する方法はいくつかあります。」ひまわりは素晴らしいオレンジ色の花びらと茶色の頭をがっくりさせて、精神科医のクリニックを後にしました。

 

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次に来たのは小さなトキワナズナでした。バラの精神科医は診察を行って一つの結論に達しました。「残念ですが、トキワナズナさん、あなたは成長障害を持っています。たぶん遺伝子が問題でしょう。でも心配ありませんよ、ちゃんと治療をすればほかの花と同じようにみずみずしい良い土のもとで生活ができますよ。」トキワナズナは来たときよりもさらに小さくなってバラのクリニックを後にしました。

 

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その日最後のの患者はカーラリリーでした。バラはカーラリリーと5分ほどカウンセリングを行った後こう言いました。「あなたは花びら欠損症です。症状を抑える事は出来ますが、治す事はできません。知り合いの除草剤会社が開発中のサンプルを置いていったから試してみる価値はありますよ?」

 

これらのシナリオはばかばかしいと思うかもしれませんが、これは私たちの社会が人間の神経の多様性にどう対処しているかを象徴しています。人に備わった神経の多様性を祝福する以前に、違いを指摘し、すぐに病気や疾患と判断し、”ジョニーは自閉症だ、スージーは学習障害だ、ピーターは注意欠陥だ”と決めつけてしまっているのです。

 

人種を差別したり文化を差別したりした事から生まれた過去の大きな間違いから学べば、同様に人間の脳にも同じような事が言えるのではないでしょうか。この世に普通の花が無いように、普通の文化や人種が無いように、普通の脳なんて存在しません。どれもが少しずつ違い、その多様性に目を向け、社会的にも、教育的にも、そして精神の健康という観点からもより多くのバリエーションを受け入れることが必要なのではないでしょうか。

 

過去60年の間に精神病の数は一気に増えました。1952年にDiagnostic and Statistical Manual of the American Psychiatric Association(アメリカ精神医学会)は精神病に対して100の種類を設けました。2000年には精神病の種類はこの3倍になりました。これにより、さらに多くの人々が精神病に罹っていることになりました。そして、2012年には関係障害、性行動障害、ビデオゲーム障害などの新しいカテゴリがさらに追加される予定です。National Institute of Mental Healthではアメリカ人口のうち、実に4分の1が人生のうちに診断可能なレベルの精神障害をもつという統計があります。私たちはこの先、全国民が何らかの精神障害として診断される日が来るような気がしてなりません。

 

Thomas Armstrong, April/May 2010 Issue Ode Magazineより

 

皆さんはこれについてどう思いますか?普通というものを決めるのが非常に難しいように、病気もまた健康との境界線が曖昧なものです。生物の可能性が生み出す多様な脳の形態を病気ではなくバリエーション(または多様性)として捉えるという考え方を私は支持します。